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東京高等裁判所 昭和24年(わ)339号 判決

上告人 被告人 増井慶太郎

弁護人 帯金悦之助 海野普吉 位田亮次

検察官 渡辺要関与

主文

原判決を破棄する。

本件を静岡地方裁判所に差戻す。

理由

弁護人帯金悦之助外二名の共同上告趣意は同人等共同作成名義の上告趣意書と題する末尾添附の書面記載の通りである。これに対し当裁判所は次の通り判断す(但し第三点以外の論旨及び判断は省略)。

第三点一定の行為をなす権限を有すると信ずることと該行為は許される行為であると信ずることとは異なる。後者は法律の錯誤で犯意を阻却しないが前者は事実の錯誤で犯意を阻却する。而して権限を有すると信ずることについて過失があつても犯意を阻却するのである。

然るに原判決は被告人等は本件小麦粉をもらいうけ自由に処分し得ると信じたことに被告人等の責に帰すべき過失があつたと認めるのが相当である旨説示し、右小麦粉を自由に処分することができる権限あると信じても横領の犯意があるように解しているのは法律の解釈を誤つたものである。右違法は判決に影響があるから原判決はこの点においても破棄を免かれない。論旨は理由がある。

以上の説明の通り原判決は破棄を免かれないからその余の論旨は省略する。而して原判決の前記違法は事実の確定に影響を及ぼすべき法令の違反であるから旧刑事訴訟法第四百四十七条第四百四十八条の二に従い原判決を破棄し原裁判所に差戻すこととする。

(裁判長判事 吉田常次郎 判事 保持道信 判事 鈴木勇)

上告趣意書

第三点原判決は無罪の事実を有罪とし法令の適用を誤つた違法がある。

原判決は其の理由三に於て、ところが同営団としては右の如き物資の受入は全く異例のことであつたばかりでなく、右小麦粉が本来終戦物資として総てルートにのせて一般又は特殊の用途に配給する手続をとるべき性質にあるにかかわらず、県主要食糧課としてはかかる当然の措置を求めることなく、しかも営団に引取らせた後間もなくその一部を何等適法な手続を経ないで右用途以外に用い始めたところから、被告人等は一方当時の急迫した食糧事情と主要食糧の配給に任ずる営団の職員とに照し県当局の右の措置が不適当であつて、これにならうべきではないことを知り得た筈であるのに営団に於ても右小麦粉の中少くとも一部分を営団の業務運営のために利用しても営団の本旨に反しない限り許されているものと考えるに至つた。と判示して被告人増井並に原審相被告人等に孰れも、本件小麦粉の中少くとも一部分を営団の業務運営のために利用しても営団の本旨に反しない限り許されている旨、換言すれば、被告人の認識内容に付て本件小麦粉の中少くとも一部分は営団職員が貰い受け、業務運営の為に此を自由に処分し得ると信ずるに至つたものと認定しているのである。従つて本件に於て若し本件小麦粉の一部に付ての処分権限が、右営団に帰属していなかつたとしても其の場合は被告人増井等に於て犯罪事実の錯誤ありたるものとして犯意を阻却することは明かである。

然るに此の点に付 原判決は本件小麦粉の一部に対する処分権限は営団に帰していなかつたものとして、尚被告人等に権限踰越の行為があつたものとし、被告人の犯罪事実に対する錯誤は犯意を阻却することなく之に対し業務上横領の刑責を問擬しているのであるが、その理由としては証拠説示の三に於て次の如く判示している。即ち、此の小麦粉が正当に配給さるべきもので所謂臨機の行政措置を許さないことは一九四五年九月二十四日附連合軍から日本政府宛の「日本軍より受理せる或は受理すべき資材需品及び装備に関する覚書」に於て-中略-指令されている趣旨や政府が食糧を管理して配給の統制を行つていることに照し自明のことである。又右の諸事情と当時に於ける食糧事情とを考えるならば配給事務を担当する営団職員が本件小麦粉をもらいうけ自由に処分し得ると信じたことに少くとも被告人等の責に帰すべき過失があつたと認めるのが相当である。と判示して被告人が営団に本件小麦粉をもらい受け自由に処分し得ると信じたことに少くとも被告人の責に帰すべき過失があつたからであるとしているのである。換言すれば犯罪事実の錯誤に付て過失ありたるものとしているのであるが、果して犯罪事実の錯誤に付て過失ありたる場合之を一般の故意犯と同様の刑責を負わねばならないものであろうか。甚しく疑問無きを得ないのである。刑事責任の本貭上、犯罪事実の錯誤に付過失ありたる場合は矢張り過失犯の責を問うをもつて足るとすべきではないか。

原判決は茲に刑法第三十八条第一項の法意を誤り無罪の事実を有罪とした失当あるものと考える。尤も右の点に付ては被告人が本件小麦粉を自由に処分し得ると信じたことは、被告人が本件小麦粉を処分しても違法でないと信じたことと解されないこともないから前記の過失は所謂違法性の錯誤に付ての過失であつて犯意を阻却しないことは当然であると謂うかも知れない。然し乍ら被告人等の認識に於ては本件小麦粉の一部を営団にもらい受けたものであることを認識しているのである。民法上本件小麦粉の一部の処分権が営団に帰属していることを認識しているのである。更に他の原審相被告人等の認識は兎も角として、被告人増井の認識に於ては、本件小麦粉の中、鼠糞に紛れたものや掃きよせコボレ等所謂ニゴと称する程度のものは営団の日常業務を執行する上に於て理事長が適宜之を処分する権限を有するものだと確信しており、又同人の夕礼の挨拶に於ても斯かる通常食糧として用いものにならないものを営団職員に分配する旨言明したのである。事は飽く迄所有権又は処分権が有つたと認識していたことを前提として居り、右所有権又は処分権が無いことを知つて尚それが違法でないと信じたことではないのである。そこに違法性の錯誤の介入する余地全く無きものと考える、是れ前述被告人の認識が、犯罪事実の錯誤に付ての過失であり、断じて違法性の錯誤に付ての過失ではないと主張する所以である。しかも原判決は、右被告人の過失に付、情状論としてその(イ)に於て更に曰く、本件小麦粉については同認定の如く営団を監督すべきは当局が一応営団に保管させた上でリスト外品としてルートにのせるべき職責を持つていたのにそのこともなく日月を経過し、其の間私的な用途に迄費消し始めた。かかる措置は強く批判されなければならない。営団当事者の本件犯行は寧ろかかる官憲の行動に誘致されたともみられる。として被告人に前記過失があつたとしても、夫れは自然の成行きであつたことを原判決自らが裏書きしているのである。

斯くして本件事実の錯誤は、当然本件犯意を阻却すべきであるに拘らず、何故原判決は之を阻却せずとするのであろうか。弁護人は甚だしくその理を解するに苦しむものである。

更に弁護人をして言わしめるならば、前掲原判決理由に明示する如く、本件小麦粉の受入は営団本部として全く異例特殊のことであり監督官庁の措置亦判示の如くであつたとしたならば、被告等が営団の本旨に反しない限り之を営団の業務運営のため利用しても差支えないと信ずるに至つたとして、什うして被告人を責むることが出来るであろうか。恐らく何人と雖も被告人等の地位に立たされたとしたならば、必ずや被告人の行為を是認し得ることだと考える。

本件は正に事実の錯誤に該当すべき案件であつて、仮令被告人に於て右錯誤に付前陳の如き過失があつたとしても、該過失は刑事上の責任を以て之を問擬すべきに非ざるものと云うべきでなかろうか。原判決は徒らに法令の解釈を誤り無罪の事実を有罪とした違法があるものであつて当然破棄さるべきものと考える。

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